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2011.07.07 Thursday |  | - | - | - | 

11.父さんへの手紙 11月28日

◆2001 11.28◆

父さん、さっき姉さんと電話で話したよ。

母さんも姉さんも、父さんのいろんな世話をすること今は生き甲斐なんだから、謝らなくっていいのにって。なんで謝るのって。

これでお茶を飲ませるの最後かも知れない。これでおしめを替えるの最後かもしれない。体をふいてあげるの最後かもしれないって、一つ一つのことを、ほんとに大事にやってるのだから、そんなすまなさそうな顔をしなくっていいのにって。
そんな顔をされると、無理矢理生かしているような気がして、たまらないって。

母さんは、ほんとはもう逝かせてあげるほうがいいのかも知れないっていってたけど、それでも、明日はもっと父さんの状態が良くなるかも知れないからって、そしたら、もしかしたら、またビールを飲めるかもしれないし、タバコだって吸えるかも知れないからって、一生懸命生かそうとしてるんだって。
それに。。父さんだって死にたくはないはずだって。

父さん、姉さんに言ったんだって。「おかあさんのこと、頼む」って。
「小春も京もわたしもいるから、心配しなさんな」って姉さん言ったって。
父さんが一番心配なのは母さんだよね。
母さんは強い人だけど、それは父さんがいるからだ。文句ばっかり言ってたけど、いざって時は父さんがいてくれるからって、いつも言ってたもんね。

父さん、私はちょっと悔しい。父さんの子供として生まれて、姉さんみたいに父さんの側にずっといて、父さんの世話をとことんするってことが出来ないから。
・・知らなかった。姉さん、仕事やめていた。
外に出ている間にもしものことがあったらいやだからって。
二人を置いて、出ていく時間を極力減らしたかったからだって。
ほんと、姉さんらしい。。
ごめんね、私がもっと近くにいたら仕事やめなくて済んだのにね。

父さん、お風呂に入りたいって言ったんだって。
姉さんがどうにかしてお風呂に入れたいって。
だけどお医者がだめだっていうから、我慢させてるって。

私がいたら、お風呂にいれてあげられる?
父さんが最後にしたいことがお風呂に入ることだったら、私はそれをさせてあげたい。

小さいとき父さんとお風呂に入ったことを思い出した。
ゆっくり体を伸ばして湯船の縁に頭をのっけて、目をつぶっていたよね。
お湯にタオルを浸けて、空気を入れてパチンと潰す遊びを教えてくれたね。
あればっかりしてて、体洗うの忘れていたり。。

父さんのお風呂はほんと長かったね。。
2007.03.26 Monday | 08:12 | comments(0) | - | My Family | 

12.2001年12月6日

12月6日、朝4時33分、父、千秋、永眠。 

蓮の花
2007.03.27 Tuesday | 10:02 | comments(0) | - | My Family | 

13.静かに夜は更ける 1 (2001.12.12)

父が逝って明日で一週間。

一週間のことがまだ断片的にしか浮かんでこないのだが、少しずつ書いてみようと言う気になった。

亡くなったその日の夜のこと、まだベッドの上にいる父を囲んで母と私たち三姉妹は父の思いで話をした。
姉が急に「お父さん、すごくかっこよかった写真があったでしょ。あれを見てみよう」と言い出した。

天袋を開けて出てきたのはもうぼろぼろになったアルバム。
父の学生時代の写真や、戦争に行ったときの写真の中に、数枚私たちが大好きな写真があった。
職場の忘年会で浴衣をきて酔っぱらってソファの上で眠っている写真。

姉が「私たちのダンナさんのだれよりかっこいいわよね。」という。
妹が「酔っぱらっても絵になるんだもん。やっぱりお母さん面食いよね。」という。
母が「何いってんの。これでも苦労したんだから。見た目にだまされて、うっかり結婚して、ほんと私って箱入りやったって思うわ。」という。

母は田舎のお嬢さん育ちでお金の苦労などしたことのない人だった。
最初に給料を渡された時、よろこんで使って10日ぐらいで無くなってしまって「お金がないんですけど。どうしましょう」と父に言ったらしい。
父はあっけにとられて「あといくらあるんや」と聞いた。母は「2000円です。」と答えた。
すると父が「それを貸しなさい。なんとかするから。」と言って持っていったさきは雀荘だった。

一晩経って帰ってきて、お金はかなり増えていたらしい。
母はその時、父にどうやって増やしたの?ときいたら、父はじゃらじゃら、と答えた。母はしばらくそれが麻雀であることを知らなかったと。

「母さんも母さんだけど、とんだダンナさんや」と私が言うと、「それでもトータルしたら、プラスのほうが断然多いよ。」と言った。
母はお金がなくてもなんとかなる、と思っていたらしい。

こんなのんびり屋さんだから父は最後まで母の心配をしてたんだろうな。
死ぬ間際まで「おかあさん、お金はちゃんとためとるんかい?」と聞いていたらしい。

「かあさんが頼りないからおちおち死んでられるかって思っていたんだわ、きっと。」といって4人で涙を流しながら笑った。

私は「しっ。父さんが起きてくるかもしれない。」と言って、また泣き笑いした。
2007.04.04 Wednesday | 10:12 | comments(0) | - | My Family | 

14.静かに夜は更ける 2 2001.12.12

父は生前から、仏事を派手にすることを嫌っていた人で、はっきりいうと信心がまったくなかった。

「だから最後の時に、苦しみが深かったのかもしれないね。」と母。

「そうかなぁ。父さんは死ぬことが怖かったていうより、母さんと離れたくなかったんじゃない?」と私

「そうねぇ、そうえいば、お前、絶対来てくれるな?って何回か言った。」と母

「父さんにとって、神さまはかあさんだったのかも知れないよ。」と私

「ははは、ちょっと照れくさい・・。」と母

あーあ、いつまでのろけてんだか、と思いながら私はとってもうらやましかった。


・・通夜と葬儀は父の遺志を尊重してシンプルに執り行われた。

お経は流すなと言っていたが、それはさすがにカットするわけにもいかず読経の間、私たちは、「父さん、ごめんね。もう少し我慢して」と言っていた。(笑)

仏事は派手に行わなかったが、母と姉はみなさんからいただいた香典を何かの役に立てたいということで(それは父の遺志でもある)、父が勤めていた新聞社の社会福祉事業団を経て、アフガン難民に贈ることにした。 これで父も少しは気が済んだだろう(笑)。

もう一つ、父は骨を日本海に流してくれと言っていた。
それぐらいは叶えてあげたいが、母の気持ちを考えるとやはり躊躇する。

母は、ひとつだけとてもお金をかけて骨壺を特注した。
火葬場に行くとき、「父さんの骨がどこかに捨てられるのは絶対いやだから、全部拾ってきて。」と言われた。 それほどの思いがあるわけだから、母はそれはしないだろうと思っていた。

骨になって帰ってきた父をみて母は、「あぁ、とうさん、こんなになっちゃったね。もう少し待ってね。私がきっと海に連れて行くから。」と言っていた。
母はきっと新婚旅行でいった山陰の海岸にそれを流しにいくのだろうなぁ。

・・私は母のことが心配で朝晩電話をしている。
電話にでてくる声はなにか吹っ切ったようにも思えるし、強がっているだけのようにも思えた。

「今日は初七日。おばちゃんたちとご近所さんで大ご馳走をいただいてる。あんたにも食べさせてやりたい。」と。

悲しみは少しずつ忍び寄ってくるのかも知れないけど、母の気持ちを遠くにいても支えてあげられる自信がある。

私は父が亡くなった瞬間から、母と同じスタートラインに立てたんだもの。。。

いっしょに少しずつ元気になっていく。。。
2007.04.30 Monday | 15:57 | comments(0) | - | My Family | 

15.ヴァイオリン 2002年 9月

今日はとても良い天気。

田んぼの稲も全部刈り終わって、ここは実りの季節になった。
どこまでも碧い空。
こんな日は小さな庭でひなたぼっこしていた父さんを思い出す。

・・昨日、母さんからビデオが届いた。
姪っ子ののぞみが、あるコンクールでグランプリをとった。
その優勝記念リサイタルが博多の近くのホールで9月の始めにあった。

あの時、のぞみは、部屋の隅で、りすといっしょに泣いていた。
父さんの亡くなった朝。長い髪を梳かしもせずに、顔を下向けて、ずっとずっと泣いていた。

病床にある父さんに毎日のように「タイスの瞑想曲」をきかせていたね。
コンクールは父さんの発病と時期が一緒で、家族みんな諦めていた。
でも、父さんはのぞみに頑張って欲しいから「のぞみ、今日はヴァイオリンが聞こえないよ。」といつも言っていた。

父さんがいなくなってから、母さんと姉さん夫婦の心の隙間を埋めていたのは、のぞみのバイオリンの音だったかもしれない。

今、演奏が終わった。
ちょっと大人っぽい選曲、ブルッフの1番だ。
オーケストラを背にしてゆっくり客席を見まわして、やっとたくさんの人が聴いてくれていたのに気付いたようだ。
鳴り止まない拍手に照れて笑っている顔はやっぱり中学生の顔だ。

・・きっとのぞみは父さんの姿を見つけたよ。


こないだ、のぞみから電話があった。

「小春おばちゃん、りすが死んじゃった。ねぇ、こないだ来た時に写真を撮ってくれていたよね。いつでも良いから現像して送ってくれる?」

「うん、いいよ。。。。のぞみ。りすちゃんはね、おじいちゃんのところへ行って、肩に乗っかってると思うよ。だからね、寂しくないからね。」

「ありがとう、おばちゃん。」

父さん、あの頃、自分の細くなった腕や足を見て、「こんなになっちゃ、何もできない。」と言っていた。

のぞみの晴れ舞台を見たかったろうね。

うちのむすこっちたちの成人した姿をみたかったろうね。

父さん。こどもたち、みんな頑張ってるからね。

空の上からずっとずっと見ててね。

忙しいね、父さん。。笑。









2007.04.30 Monday | 21:48 | comments(0) | - | My Family | 

16.あなたは両手高く振り 2002.11

アズキの収穫もなんとか終り、朝、家族がみんな出ていった後、実家から手伝いに来てくれていた母は帰り支度をはじめた。

鏡を見ては不器用に髪を結っていたので「私にまかせて」と言って、母の髪を結ってみた。
母は年の割に白髪がほとんどなくて、柔らかい天然のウエーブがかかっている。
さすがに髪が少し薄くなっていた。

「小春は昔から、わたしの髪を触るのが好きだったね〜。」と母。
和服を着ることが多かった母の髪を和風に結い上げるのはとてもわくわくしたもんだった。
母が私の今の年齢のときに着ていた、私の一番のお気に入りの着物は、嫁入りのときにもらって、今は蔵にはいっている。
白地に大輪の牡丹の花が散らしてあるその着物を、私はいつの日か着て、写真におさまろうと思っている。
母が「あの着物は私のほうが似合ってる」などという。
「ふーんだ。今度写真を送ってやるから、楽しみにしとき。」と私。

電車の時間になった。 駅まで送っていった。 出発までまだ時間があったのだが、「早く帰って用事をすませなさい。」というので、向かい側のホームに母が辿りついたのを見届けて車に乗った。
エンジンをかけて発進しようと思ったが、やっぱり電車がくるまで待っていようと思って、ほんの少しの隙間から、母の姿を見ていた。

母はしばらくして気付いたようで、こっちを振り返った。
私はフェンス越しに大きく両手を振った。 電車が入ってきた。
母が乗りこんで席に座ろうともせず窓から手を振っていた。

母が小さくなっていき、とうとう電車がみえなくなって、私は車を出した。
アクセルをぶーんとふかして、スピードを上げた。

・・どうして涙が出るんだろう。

うちにいる間中、しゃべっていたのに、なにか言いわすれた気がして。

もうすぐ、父の一周忌。
一年経つごとに、悲しみの質が変わってくるのだけど。
小さくなった母が、懸命に強くなろうとしてる姿をみてなんだか痛々しくて。

「そんなに頑張らなくていいから。せめて私のとこに来たら、泣きたい時に泣けばいいよ。」

それを言いわすれていたんだ。
       
◇◇◇


年末に帰省したときに、母が一冊のノートを出してきた。
父の病床記録。亡くなってから後は日々の思いを短歌にしていると言う。

・・・先日の駅での別れが歌にされていた。


「錦おりなす丹波の地に我がむすめあり 列車の我に両手高く振り」

2007.05.01 Tuesday | 21:40 | comments(0) | - | My Family | 

今年は久しぶりに帰省しようと思う。

 母はもう79歳。

父が亡くなった年になった。

もう2年も門司に帰っていない。

母の顔が見たくなったから、夏休みには帰ることにする。
2011.07.07 Thursday | 23:22 | - | - | My Family | 
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