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2011.07.07 Thursday |  | - | - | - | 

1.父に捧げる

この日記は2001年11月に書いたものです。

ずっとしまっておいた文章ですが、思うところあって、ブログに載せることにしました。

<父に捧げる> 11月24日

私がこのページを作ろうと思い立ったのは、今年9月のことだった。

5月に帰省したときに、父がいつもより元気がなかったので、気になりはしていたものの、もともと物静かな人なので、それほど心配もせずそのまま帰ってきた。


その後、母から「どうも父さんの調子が悪いので検査入院させてみる」と連絡があり、心配していると、父は肝臓を患っていてもう手術しても手遅れで、長くて半年ということだった。

お医者の話を聞きに行った姉が電話の向こうで号泣していた。
「側にいながらなぜ私が気付かなかったのか」と、自分を責めていた。

お医者はそれでも延命の手段はあると言ってくださったが、どうしても家に帰りたいという父の意向を汲み、母と姉はお医者に懇願して父を連れて帰ることにした。


父はその時、看護婦や医者のいる前で、母の手を握り「あんたと結婚してほんとに良かった。」と言ったそうだ。

帰り道は義兄の運転するワゴン車の後ろの座席をフラットにして、窓から景色を見られるようにして帰った。

途中、新緑があまりに見事なので、義兄は寄り道して景色の良いところへ連れていったらしい。

「病人なのだから早く家に連れて帰らないと。」と姉が言ったのだが、今思えばそれが父の外出の最期になったわけだから、義兄の心遣いに私はとても感謝している。


家に帰り、父は家の中で一番明るい東南向きの部屋に母と暮らすことになった。

父の寝ているベッドから、父のお気に入りの物が全部見えるように壁一面に配置してある。

散歩の時の帽子、母が墨で書いた詩「千曲川旅情の歌」、家族の予定を大きく書いた母の手作りのカレンダー、父の父がステッキをもってポーズをとっているセピア色の写真、姪のバイオリン演奏の写真。

窓からは母が丹精した鉢植えの数々、身よりのないおじいさんから預かった文鳥二羽、お隣の藤棚、その向こうの青い空。

テレビはいつも父の好きな番組ばかりがついている。囲碁だとか相撲だとか。


父は痛いとか苦しいとかいうことが全くなく、ただ、無心に眠っている
。起きている時間はだんだん減ってきて、ここ数日は目が覚めているのは一日30分ほど。

目が覚めて母の姿がないとまるで赤ん坊のように母を目で捜している。見つけると安心してちょっと笑っている。母と同じ高さにいたいらしく、ベッドからおろせという。

それは無理なので母がベッドで添い寝している。とんとんするとまた眠りに入る。

若い頃の父はとても厳格な人で、若くして家族から別れて暮らしていたので、家族の温かさをあまり知らない。

母が「愛情はあるのだけど、どう表現していいかわからない人なのよ。」と言っていた。

若い私はそれがわからず、父のもとから離れがちだった。

今になって、もっと話をしておけば良かったと後悔しているのだが、父はもうあまり話すこともできない。

遠くにいて何一つできない私が唯一できることは、こうして父のページを作ることだけだ。父に言えなかったことをここに記すことにしようと思った。


・・あと半年と言われてから、5ヶ月が経った。父はまだしっかり呼吸をしている。


「もう大丈夫やから、汽車に乗って帰りなさい。」と言われ、こちらに帰ってきた。

父に残された時間があとどのぐらいあるのかは知るべくもないが、こうして私に「父への手紙」を書くだけの時間を与えてくれたすべてのものに感謝している。


もう、私は、父に「頑張って」とは言わない。

もう、頑張りすぎるぐらい頑張っているのだから。

父がこれから、一回でも多く、美味しいとかうれしいとか気持ちよいとか感じてくれたら、もうそれでいい。


願わくば、父がこのまま幸せな夢を見続けられますように。。。
2007.03.10 Saturday | 02:30 | comments(5) | trackbacks(0) | はじめに。 | 

2.父、「千秋」

この日記は2001年11月に書いた日記です。

<父、千秋>

はい、こんにちは。

明日は早くに新幹線に乗らなければならないのに、夜更かしの小春せんせです。

九州の実家へは、もう1年帰ってません。
あたくしの本籍は柳川でございます。 北原白秋の実家とは家族ぐるみのおつき合いをしていたと聞きます。
「白秋さんとこは火事になって、それからが大変やったと」と曾祖母が言っていたそうです。
父の生家は大変裕福な家で、父の父は趣味で教育者をしておりました。

ところが、小豆だったか、相場に手を出し、大損をして12部屋もあった、生家は他人の手に渡り、土地も失い、一家は離散いたしました。
父は一人だけお弁当ももたず、お昼に鉄棒にぶら下がってみんなが食事がおわるのを校庭でまっていたそうです。

15歳でだれにも言わず満州にわたり、そこでしばらく暮らし、その後戦争にかりだされ、どうにか弾に当たらず、帰国いたしました。

その後、新聞社勤務を始め、もう30代も半ばを過ぎた頃、11歳も年下の母を見初め、母の実家の強固な反対にもめげす、母をめとったのでありました。

あたくしの知っている父は、いつも着物を着て、火鉢の側で物思いにふけっておりました。
時折、何か思い出したように書斎にいき文机に向かってなにやら書き物をしておりました。 こっそり見てみると、原稿用紙には「千秋」と書かれていました。父のペンネームです。
あたくしのHNの小春はこのまねっこでございますのよ。

血筋がそうさせるのでしょうか、父も、博打がすきで、記者仲間と徹夜麻雀などをしていました。
「三日たっても帰ってこなかったら、雀荘に笋靴討海ぁ廚噺世せ弔靴董⊆磴な譴隼或佑量爾鬚曚辰燭蕕して、出かけていたそうです。

しばらく経つと、ヒゲぼうぼうになって帰ってきて、黙ってお土産を出してきます。 「夏目漱石全集」「新潮社 世界文学全集」「サン・テグジュペリ」等々・・これらが戦利品でした。
綺麗な装丁の夏目漱石は、小さいながら全部、読みました。たぶん活字を追っただけでしょうが。
文学全集のほうは、一巻から読み始めましたね。これはかなり気合をいれて読みました。最後に読んだのはバルザックの「谷間の百合」だったと記憶しております。

あまり話をすることもありませんでしたが、あたくしは父が大好きでした。

明日は、父に会えます。 去年帰った時には、あたくしのこと、あまり思い出せないようでした。

それでもいいのです。父の側にいて、顔をずっとみていようと思います。
2007.03.12 Monday | 23:00 | comments(1) | trackbacks(1) | My Family | 

3.大切なもの

<大切なもの >  2001.6
はい、こんにちは。

13才の時、おばあちゃんが買ってくれた、美顔水のビン。

「ねぇ、おばあちゃん。にきびいっぱいできてきた。赤くなってきたないよぅ。」

「おばあちゃんは昔、美顔水つかっとったよ。薬局にいってかっといで。 お金、ほら。」

「うん、ありがと。お店の人にきいてくる。ね、おばあちゃん、わたし、お顔 まん丸。もっとすっとしとったらいいのに。」

「そんなことないよ。太陽みたいなお顔は人を幸せな気持ちにさせるよ。」

「はは、そうかぁ。じゃいってくるね。」


16才の時、おとうさんが買ってくれた歴史全集。

「これ、会社で注文して買った。暇な時、読んだらいい。」

「あ、ありがとう。とうさん。世界史やね。今ちょうど学校で習ってる。 
あったら助かります。ありがとう。」

「あんまり夜遅くまで勉強するなよ。体こわすぞ。」

「はい。もうすぐ試験なので終わったら早くねます。」

大人向きで小さい字だったけど文明のおこりからがんばって読んだ。

着ると重いかあさんの手編みのカーディガン

「あんた、寒がりなのに、どうしてそんな寒いところに行ったんやろうね。 
寒いときは外にでなさんな。」

「はは、そういう訳にはいかんよ。」

「そうね。そしたら仕方ないね。とうさんにセーター編んだら、お気に入りで 毛玉いっぱいでてもきとうのよ。あんたにも編んで送ってあげよう」

「いいよ。かあさん。コートあるから。」

「家でコートはきれんでしょ。」

「それもそうや」

細編みのカーディガンが届いたのは1週間後。毎日編んだのかな。
ずっしり重いや。はは、親の愛ってやつだな。
お、袖が短い。そうか、炊事するのに長いのは不便やっていつもいっとった。
ちょっと肩こるけど、ありがと。

…今日も、恒例、朝9時の母からの電話。

「とうさん、このごろねてばかり。このまま目がさめんかったらどうしよう。」
「大丈夫よ。ずっと話しかけてみて。」
「そうやね。そうしよう。」

…大丈夫なのかどうか、一番心配なのは、一番遠くにいる私なんだけど。。

2007.03.13 Tuesday | 23:06 | comments(0) | trackbacks(0) | My Family | 

4.父の手

<父の手>  2001.7

はい、ただいま。

往復24時間の船旅を終え、ゆっくり旅ができたなぁと至極満足の小春せんせです。

九州の港へ着くまで海を見ながらいろんなことを考え、不安で胸がいっぱいでした。

港へ降り立ったとき、いつもの汐の匂いがしました。これが私の育ったところの匂い。
小さい頃、周防灘へ潮干狩りにいった。自分で獲ったものを初めて自分で食べた。
あさりの身がふくっらして美味しかった。
かぶとガニがいてびっくりした。砂浜に宝物を隠してどこにいったか分からなくて悲して泣いた。

海が嫌いな母がしぶしぶ連れていってくれた海水浴で、父が遠泳して姿が見えなくなって大声で呼んでいると、遠くの方で手を振ってる父が見えて、ほっとすると同時に、なんて泳ぎが上手いんだろうと、感心したことを思い出した。

…門扉をくぐり玄関までの小さい花壇は母が丹精した花達でいっぱい。
忙しくても花を育てることを忘れていないようで、ちょっと、安心。

寝ている父を起こしたらいけないと思い、こっそり部屋に入ると、目がふっと開いた。
微熱のせいか、頬が少し赤らんで、手が温かい。
でも良かった。手が温かい。

少し話をすると喉が乾いたというので、桃をむいて小さく切って口にいれてあげた。
美味しそうに食べていた。4切れ食べて、
「お腹すいただろ。おまえ、食べなさい。」といって残りを私に食べさせようとする。
お腹はすいてなかったけれど、残りの一切れをぱくっと食べたら笑っていた。

「少し寝るから」というので「うん、じゃ、目が覚める頃にまたここにいるから。」といって手を握っていると、そのまま寝た。

寝顔がとても静かで幸せそうだった。

大きくなってから、父の手に触れたのは初めてだった。
おとうさんの手というのはこんなものだったのかと初めて思った。

身が落ちてしまって、枝のようになっている腕だけど、わたしにはなつかしいお父さんの手だった。

父のもとへ帰ったら、したいと思っていたこと、一つできて、うれしかった。。。


2007.03.14 Wednesday | 22:22 | comments(0) | trackbacks(0) | My Family | 

5.かけがえのない時間

< かけがえのない時間 >   2001.8

はい、ただいま。

4泊5日の実家での滞在を終えて、夕べ帰ってきた。

2週間前より父は痩せていた。もう歩けるのが不思議なぐらい細い体になっていた。
目を覚ましている時間は、一日2時間程度。あとは、ずっと眠り続けて、時折目を覚まして天井を見ている。 何を考えているのだろう。。。

「おとうさん」と声をかけると、
「おぅ、まだいたんか。家は大丈夫か?彼は料理できるのか?」
とうちの家の事を気遣っていた。

「うん、大丈夫よ。それぐらい、できるできる」
「それなら良かった。。」
そういってまた眠った。

昨日、帰り際、父に
「今から帰るから。またすぐ来るから。だから、ちゃんとたべとかないけんよ。」というと、父は私をじっとみて、

「もう、だいだい、これぐらいで終わりだろうね。。。」と言った。

言いたいことは分かっていた。分かっていたけど、認めたくなかった。

だから
「絶対、すぐ帰ってくるから。それまで元気にしとらんといけんよ。」と必死で言った。

この前初めて父の手を握って、今度は二回目。

私があんまり強く握ったら、壊れてしまいそうな手だ。
出来るならずっと離したくなかった。

母が「バスの時間に遅れるよ。」と声をかけてくれた。

バス停まで送ってくれた姉。バスから見える門扉のところに立って手を振っていた母。

…そして、あの屋根の下で、静かにバスの発車音をきく父。。

こんな悲しい、仕方ない別れは初めてだと思いながら、窓の外の景色をみていた。。

2007.03.15 Thursday | 08:18 | comments(0) | trackbacks(0) | My Family | 

6.父さんへの手紙 10月16日

◆2001.10.16 ◆

父さん。
こっちはちょっと寒くなって、風邪ひいてしまったよ。
でも大丈夫。大したことないから。
母さんから電話もらった。お風呂入れなくなってしまったんだね。
あれだけが楽しみだったのにね。点滴いやだろ。
でもね、仕方ないか。しないと楽になれないからね。。。
かあさん、点滴の間中、手を握ってないといけないから、大変だって言ってた。
どうしても手を動かしてしまうもんね。

8月にはもうだめだって言われていたのに、もう10月も半分過ぎたね。
ほんとに頑張ってるよね。。。
昨日体がだるくて寝ていた時に父さんのことをずっと考えていた。
父さんは一日20時間以上、もう3か月も寝てるよね。
私ならもうとうに心がくじけてると思うけど、父さんは頑張りやさんだ。
私だったらとうに暗闇に引きずり込まれて錯乱してるとこだ。

私たちはね、父さんが痛くないんだったらずっとそのまま頑張って欲しいと思ってるんだよ。「そこにいてくれるだけでいい」って思うよ。。。
でもこれは私たちの我が儘なんかも知れないね。父さんは早く楽になりたいって思ってる?・・
母さんが言ってた。少しずつだけど出来ることが少なくなっていってるって、それを父さん自身が一番良くわかってるって。。

母さんが、絶対年を越させてみせるって言ってた。父さんはそんな母さんの気持ちが分かるから、頑張ってるんだよね、きっと。
父さん、母さんもそうだけど私だってそうだよ。遠くにいて何もしてあげられないけど。

5月に帰ったとき、父さんはお庭でひなたぼっこしてたよね。
白髪頭が風にそよそよ揺れて、そしたら母さんが帽子を持っていった。
しばらくたって、お部屋の父さんに果物もっていったら、イスに座ったまま帽子をかぶっていたんで、「父さん、果物」って言ったら返事しない。
近くまでいって気付いた。
なんとぬいぐるみのラルフに帽子をかぶせて父さんったら寝ていた。

もう爆笑。・・あの時間がずっと続いたら良かったのに。。

父さん、今度は冬休みにみんな連れて帰るから、それまで頑張ってね。。

ではわたしも寝ます。

風邪は寝て治せだね。。
2007.03.15 Thursday | 18:01 | comments(0) | trackbacks(0) | My Family | 

7.父さんへの手紙 11月19日

◆2001.11.19◆

今、家に帰り着いたよ。

一昨日、母さんから緊急の電話をもらったときには、気持ちばかり焦るのだけど、何からしたらよいのかまるっきり考えられなくて、とにかく家の事をちゃんとしておかないととだけ思って、炊事や洗濯をしていた。

しながら、なんでこんなことやってるんだ。今家を飛び出して新幹線に乗ったら、もしかしたら、まだ息をしている父さんに会えるかもしれないのに。。あとで家の事なんかをやった自分をすごく悔やむのだろうなと思ってた。

新幹線の中で、いろいろ考えたよ。
もしかしたら父さんはもう息をしていないのじゃないか、それを母さんは黙っているのではないか。。。こっちから電話してみようか、、いや、それはやっぱり出来ない。。。

こんなことを考えていたから、あっという間だった。

でも、良かった。父さん。まだ目を開けていた。
私のことがわかるのに一晩じっと考えてみたいだね。
次の日の朝、やっと「帰ってきたんか。」と言っていたね。。。

父さんはもう現実の世界にはあまりいないのだけど、時々ふっと現実に戻ってくるって母さんがいっていた。私も父さんが戻ってきた時がわかったよ。母さんのことをじっと見て、笑ってるもん。

今日の朝「自動車に乗って・・」といっていたね。
母さんが「義兄さんの車に乗って父さんはどっかに行きたいんだ。」と言っていた。
「今日は寒いから明日暖かくなったら、みんなで行こうね。」と言うと、父さんは安心したように、笑っていた。
母さんが「父さんおいてどこにもいったりせんから。」と言っていたね。。。。

昨日の夜中、星がいっぱい流れたよ。父さんにも見せたかった。
私はね、父さん、世界中のみんなに非難されてもいいから、昨日の流れ星、全部独り占めしたかったよ。
星全部にこうお願いをする。。「とうさんをちょっとでもいいから歩かせてやってください。とうさんに外の空気を吸わせてやってください。とうさんに燃えるような紅葉を見せてやってください。とうさんにかあさんを抱きしめるだけの力を与えてやってください。」
・・・世の中に困っている人はたくさんいるのに、私ったら、なんて人なんだろうね。

今日家を出るとき、父さんはとうとう目を開けなかった。私はとうさんの白髪頭を触らせてもらったよ。ずっと触っておきたかったけどね。仕方ないね。ほんとにきりないし。。。

とうさん、ありがとうね。ちゃんと私だっていうことわかってくれて、「大丈夫やから汽車に乗って帰れ」って言ってくれて。。だから、私は、ちゃんととうさんと「お別れ」できたんだよ。だからね、私にお礼なんて言わないでよ。とうさん。。

母さんが「次がきっと最後やから、そのときは、もうゆっくり来たらいいんだよ。」って言っていた。「私は何回でも行くよ。日帰りだってする」って言ったら、かあさん、あとは母さんの仕事やからって。。。

ほんと、とうさんは幸せ者やね。かあさんがいっとったよ。とうさんがどうしても退院して家に帰りたいと言ったんで、ダメだというお医者さんを説得して家に連れて帰った時、「あんたと結婚して本当に良かった。」って言ったんだって。

周りに他の人いたのに、言ったんだって。かあさん、うれしそうに話してくれたよ。ほんとに、最後の最後まで、のろけだもんね。。まいったな。

2007.03.18 Sunday | 22:46 | comments(0) | trackbacks(0) | My Family | 

8.父さんへの手紙 11月20日

◆2001.11.20◆

ねぇ、とうさん。ねぇさんが言うのよね。

「父さんは幸せだったんだろうか」って。

私もそのことをずっと考えていた。

昔・・・麻雀に勝って帰ってきたとき、美味しい酒の肴がある時、まだ乳飲み子の孫を抱くとき、昔の新聞社仲間と碁を打つとき、お気に入りの帽子をかぶって散歩をする時、、まだまだ、たくさんある。。。

父さんはきっと幸せだったと思うよ。
今とうさんは眠りながら笑っているもの。
朝目が覚めたら父さん「子供達はみんな学校へいったか。」って聞くんだって。
昔を思い出してるんだね。

父さんの一番幸せだったのは、もしかしたら、家族5人で小さな家で暮らしていた時だったかも知れないね。
まあるい火鉢のそばで着物を着て、正座して本を読んでいる父さんのそばで小さい私たちがごろごろしながら絵本を読んでいる。。

あの頃が一番幸せだったのかもしれないね。。

父さん、もっと幸せな時はあった?

私たちが知らない頃?

昔の写真に写っていた私が知らない父さんと母さん二人の時代?
2007.03.20 Tuesday | 21:49 | comments(0) | trackbacks(0) | My Family | 

9.父さんへの手紙 11月21日

◆ 2001.11.21 ◆

朝からビールをちっこいグラス1杯飲んだって。良かったね。

ごくごく飲んだって母さんがうれしそうに知らせてくれた。
その上ピーナツを2粒食べたって。良く噛めたね。父さん、歯、丈夫だったもんね。

・・点滴を今日からやめるって、母さんが。もう針も通らないもんね。
こないだ血管をみたよ。骨と皮ばっかりだったけどちゃんと太くて温かい血が流れてるのがわかったよ。

ヨーグルト食べたんだって。少しだけだったけど、少しでも体に良い物を口から入れることができたって母さん喜んでいたよ。
その中に青汁とかウコンとか、そういう体に良いものをわからないように混ぜてやって、って言ったら、そうだね、そうするって母さん言っていた。

・・父さんったらいつもなにかしらして動き回っているかあさんに「あんた、ごそごそしないで、ここにちゃんとおらんといけんよ。」って言ったんだって。

目が覚めた時に母さんが居なかったら、すごく不安なんだろうね。
眠りに入るとき、きっと、目が覚めたら違う世界にいるかも知れないって思って寝るのだろうね。
だからいつものように母さんがいると「あぁ、まだ生きてる」って思えるんよ、父さんは。母さん、しんどいやろうけど、ずっとそばにおってあげてね。

・・夜、ふと目が覚めて父さんのベッドをみると、どうやら父さんが目を開けていたらしく、かあさんが「どしたん?」って父さんを覗き込んでいたね。

暗闇の中で父さんはにっこり笑って母さんの髪をなでていた。
母さんは父さんの細くなった腕をさすっていた。
なんにも言わず黙って二人ずっと。

私は声をかけられずに、枕を顔に当てていた。

涙が次から次から溢れてしまってね。。。

2007.03.22 Thursday | 07:18 | comments(0) | - | My Family | 

10.父さんへの手紙 11月22日

◆ 2001.11.22 ◆

父さん。

今日は子供部屋の片づけをしながら私が3歳ぐらいの頃の写真を取り出してみたよ。
お布団を3つ並べて私と姉さんと妹が寝転がっているのが写っていた。

お布団の柄がすごく綺麗だったのを覚えてる。
母さんったら、自分の婚礼衣装を全部ほどいて布団の表にしたんだって。
おばあちゃんに随分おこられたらしいけど。

母の婚礼衣装こんな柄だったね。


・・車を運転しながら紅葉が目にはいると、その金銀に光るお布団を思い出したよ。

私が一番好きだったのは、丸帯をほどいてマットのカバーにしたもの。
あれは父さん専用だったよね。一番高価そうな布だった。

父さんがいないときは、私たちは3人でそのマットの上で飛び跳ねては母さんに叱られた。金糸銀糸がほどけちゃったもんね。

・・こないだ、父さんの枕をみて、可笑しかった。
だって、母さんったら私たちの七五三の着物をほどいて枕を作ってるんだもん。

絹の枕カバーはすごく気持ちよさそうで、父さんはそれにちっこい頭を乗せて、うとうとしてた。

母さんったらいつもそう。
良い物はしまっておいたらいけないんだって。使わないと価値がないんだって。
・・その通りだよね。

でも、今日の父さんの枕は、母さんの膝だったって、ねえさんが言ってた。
父さんにはそれが一番気持ちいいよね。

・・今日はどうだった?点滴しなくて大丈夫だった?

・・父さん、私ね、もっとたくさん話しておけば良かったよ。
もう、電話で話すことさえできないもんね。。
こうして、父さんの写真をみながら話するのにもう慣れっこになったよ。

まぁ、寂しいっていえば寂しいんだけど、仕方ないよね。。

2007.03.22 Thursday | 17:02 | comments(0) | - | My Family | 
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